にご出演された皆様、スタッフの皆様、
ご参加された皆様、お疲れ様でした!
『kyat official Website』 にて、ステージ写真や
ホーチンさんとの思い出にも触れた洋子さんの記事がUPされてます。
洋子さんは、出産子育てのため、ボーカルを退いてらっしゃいましたが、
2013年、活動を再開されました。
お花は、青春ラヂオライブでお花屋さんとして独立したと伺い、
ホーチンさんを良くご存じの児玉マリさんにお任せしました。
淡いけれど芯の強い感じの色合いを表現してくださり、
いつもとは違う雰囲気で新鮮でした。
ホーチンさんの墓前に飾っていただけるそうです。
企画にご参加いただいた皆様、どうもありがとうございました。
簡易レポ、UP致しました。
聞き間違いや記憶違いのため、間違いなど多々あると思います。
お気付きの点がございましたら、ご指摘ください。
多くの方の思いが、少しでも伝えられたら幸いです。
ホーチンさんが亡くなって7年。
抱えきれない程の想い出を胸に秘めた方、
さりげない優しい言葉や笑顔に癒された方、
ホーチンさんの純真な心に触れた方、
名前しか知らない方が一堂に会して、
それぞれの思いが奇跡のように溶け込んだ、
温かいライブとなりました。
= 開 演 =
ステージに流れるのは、ホーチンさんの 『桜の花』 です。
サイドの 「Category」 の下に動画を貼りましたので、
未視聴の方は、YouTubeの大きな画面でご覧ください。
kyatの洋子さんが、「楽しく過ごしたい」 と仰り、
いつもの元気な笑顔で、ライブが始まりました。
1曲目は、ホーチンさんの故郷の歌。
村はダムに沈んでしまい、良く話してくださったそうです。
めぐ姉さんからご指摘があり、「佐賀県鹿島市です!!」
合併され、能古見村は今はありません。
1曲目 『能古見(のごみ)』
ホーチンさんの撮られた写真などのスライドショーが流れ、
ゆったりした曲でした。
2曲目 『目をそらさないで』
3曲目 『子供達のいた季節』
先日の青春ラヂオライブでも流れた映像が流れました。
ビーフラットさんの事務所のベランダに
こみみんと言う野良ネコが来るようになり、
餌をあげても全然なつかず、シャー!! と言われ続けていましたが、
ある日子猫を3匹連れて来て.....
その後のお話は、今回されませんでしたが、このことが、
命の大切さを知る機会になった、とお話されました。
「久しぶりにやるよ~!
踊る曲と言ったらこれしかない!」
4曲目 『減圧ソング』
スキューバダイビングの減圧症を予防するための歌で、
作曲は、ホーチンさん。
この曲をプロデュースされた、
『マナティーズ スクーバダイビングクラブ 』 の山ちゃんこと
山崎由紀子さんもステージに呼ばれ、一緒にダンス。
覚えてない方とご存じない方は、手拍子でした。
5曲目 『Ocean Legend』
kyatさんの初期の曲です。
豪さんが、サンバと横笛を素早く交互に持ち替えながら
盛り上げてくださいました。
「豪さんは練習が厳しいから嫌いっ! と山口さんに言われたのが、
一番の思い出かな」
場内、大爆笑!
続いて一郎さん。
「想い出? あるっちゃあるけど。 いつもぼろきれのように寝ている」
「そうそう! セーターがぼろきれに見えたんだよね!
髪もボサボサで、とかしていること、見たことない」 めぐ姉さん
ステージ内、大盛り上がり!
「今更ですが、kyatは撮影OKです。
目を瞑っている写真はNGです。 それ以外はOKです」 洋子さん
6曲目 『天鵞絨(ビロード)の森』
長野良市氏撮影の被災地熊本の映像がバックに流れました。
7曲目 『もう一度』
最後は、洋子さんの元気なタンバリンに乗せて "一番盛り上がる曲"
ライブで何回も聴いた、馴染みのある楽しい曲でした。
8曲目 『青い自転車』
= 休 憩 =
「こんばんは! 木内秀信です!」
後半、木内さんの登場です。
前立てに黒いもふもふ、第一ボタンが3個付いた、
細いストライプが入った長袖シャツ、
軽い素材の黒いパンツ、黒いスニーカーをお召しでした。
1曲目 『これもラブソング』
「いつまで経っても歌詞を間違えてしまう.....
湿っぽいの、ホント嫌だ。 やだなー、何かもぅ~
この曲は8年間、WEBラジオやってて、エンディングの曲でした」
「1回もちゃんと歌えたことないよね」 めぐ姉さん
「いや、1回くらいはあったような.....
生涯で3曲ぐらいしかない。 作詞めぐ姉、作曲ホーチンって。
ホーチンが、『曲出来たから歌って』 と、ボソッと言われて。
歌が走っちゃったり、遅くなったりしちゃって、
上手く歌えなくて気になってて、ある日ホーチンにきいたら、
数年後だけど 『うん、走ってる』 って! 早く言え!
『言えなかった』 んだって。 がはは!」
バンドさんの紹介をされました。
パーカッション豪さん、ギター一郎さん、ピアノめぐ姉さん。
「『桜の花』 ツアーで回って以来かな。
一緒にドサ回りしましたね。
ヒトカラで、アカペラでずっと歌って練習して来ました。
カラオケに入ってねぇんだもん。
知らないおじさんが、デカイ声でアカペラで歌ってると
お店で話題になってたと思います。
10月、と聞くとこの曲を思い出すのではないかと思います。
匂いを嗅ぐと僕も思い出してしまいます」
2曲目 『キンモクセイ』
「今日は凄く暑いね。 半袖でも良かった。
ホーチンは小さな声なので、え? え? え? って、
何度も聞くので、『もういいです』
って言われちゃうこともありました。
青春ラヂオに初めてお邪魔して、三木さんと3人で話している時も
おっさんがウロウロと牽制してて。 もっさいおっさんが。
よろしくお願いしますって、帰ろうとして靴をはいている時、
『申し遅れましたが、山口と申します』 って、名刺を渡されて
見たら社長だった! 毛玉のようなホーチンでした。
.....泣いちゃうから、やりたくなかった!!」
3曲目 『小さな声で話をしよう』
前奏は、めぐ姉さんのピアニカ。
4曲目 『fallin' love』
「アルバムを作った頃は、ホーチンの歌がピュア過ぎて
歌うのが恥ずかしくて」
「恥ずかしいって言ってたね」 めぐ姉さん
「キャラソンは書けるけど、自分の世界を垣間見られるようで
とても嫌。
ホーチンが亡くなってなかったらアルバムは出してなかった。
僕、声優やってるんですけど、当時フリーで 『誰?』 って言うなら
来いよ! とトークライブやって、第1回は大阪でやって、
歌うつもりは全然なかったのに木村さんとホーチンが
『歌わないの? ライブハウスだよ?』 って言われて.....
とは言いながら同窓会で女の子に
『久しぶり! 良くバンドやってたよね』
って言われて、あ、やってた」
「やってたんだ? ボーカル?」
「うん、ボーカル。 文化祭の時ぐらいだけど、
高1、2、3と3年間、全校生徒の前で歌ってた。 ふふふ.....」
「秀兄ぃが歌える人だって分かったので、
やったら? って、ホーチンは言ったんだよね」
「音楽と知り合って、普通に歌うようになった」
「ホーチンは、喜んでいると思うよ。
ずっと歌って欲しいって言ってたから」
「テニスの王子様で、アルバムを出す時に木村さんと
ホーチンに作曲して貰ったんです。
木村さんは 『銀の剣』、ホーチンは 『カタルシス』。
ホーチンは、歌詞と曲はどっちを先に作る方だった?」
「シンガーソングライターだから、同時が多かったかな」
「ホーチンも作詞してたんだけど、同じところで
同じ歌詞だったところがあって、小さな声で、喜んでた」
5曲目 『からみついて』
6曲目 『カタルシス』
「『カタルシス』 のレコーディングの時、
きったない恰好で原チャで来て、凄い着込んでた。
もっと綺麗な恰好して来い! って思った。
新しいキャラクターソングの方も一郎さんに書いて貰ってます。
今日のためにリハはしなかったんです。
ちょっと1時間くらい合わせただけ」
「結構息合ってるんじゃない?」 一郎さん
「何かどこかで (木内さんの歌を) 歌ってるんだって?」
「しー!! 良く聴いてるんです」 豪さん
「ライブで編成が変わるとハーモニーが変わるんですね。
最近、良く分かるようになりました。
人と人とのハーモニーで出来ているんだな、と言うことに
辿り着きました」
「もう、ミュージシャンだね」 めぐ姉さん
「神戸、福岡、南三陸、仙台、締めと最初に東京行ったよね。
何か思い出はありますか?」
一郎さんに問い掛けたのですが、気付かず、一瞬空白に。
「.....俺っ!?」
リハをしてなかったから、と一郎さんは苦笑い。
「『桜の花』 は、結局遺作になってしまったけど、
『青春ラヂオ』 を畳む前に一度見ておきたいと被災地に
ボランティアに行った時、凄い心に沁みました。
ホーチンに電話して 『いい曲かいたね』
『秀兄ぃにそう言って貰えると本当に嬉しいです』 って。
病院だったのかな?
5月に木村さんと二人並んで 『ガンです!』 て言われて。
ジャブ食らってたんだっけ? いきなりだった?」
「忘れた」 めぐ姉さん
「ステージ4? え? 本当に? ピンピンしてんじゃん。
これから大変だね。 どうして行こうかって。
『自分の作って来た曲をアルバムにしたいんだけど、
秀兄ぃ、歌ってくれないかな? って言われて。
まぁ、断れないよね」
「プロデュースは、自分でやりたかったから
退院するの待ってたんだよね」 めぐ姉さん
「時は無情に進み..... 間に合わなかったんだよね。
音源壊れちゃったりして。
自宅療養して、だいたい4人で過ごすことが、日課だったよね。
僕が来ると、(奥様の)洋子さんとめぐ姉は、家事を始める。
ホーチンは、アルバムの話をすると、とても嬉しそうだった。
『もうキンモクセイは咲くかな?』 とホーチンが話していたので
たわわに咲いた花を少しだけ家に届けたんですよ。
玄関から部屋まで、7~8メートル?」
「そ~んなことないでしょ」 めぐ姉さん
「う~ん、そう?
『あ~、嬉しい。 秀兄ぃ、ありがとう』 って
笑顔で言ってくれてるんですけど .....応えられなくて。
中まで入れなくて、そのまま帰りました。
その頃、いろんなことが重なってて.....
ホーチンへの感謝の気持ちを歌にしようと思って。
まさかその時は、アルバムに 『キンモクセイ』 が
入るとは思ってませんでした。
僕の小学校にあったきんもくせいは、ひらがなの札があったので
ひらがなのイメージがあります。 .....歌える?」
「大丈夫? 俺、何か話そうか?」 豪さん
木内さんは、少し笑って.....
7曲目 『きんもくせい』
8曲目 『桜の花』
場内は、悲しい気持ちと温かい気持ちが溢れました。
「ホーチンの遺作の 『桜の花』 でした。
何度歌っても涙が出ちゃうんだけど。
福岡のリハでは、ずっと泣いてた。
歌う度に泣いてたけど、今は泣かなくなった。
被災地で桜の木にぐるぐる巻かれてる包帯を見て、
桜の花を見られたらいいな、と思いました」
「行きましょう!」 一郎さん
「アルバムに入る前から思い入れのある曲で、
何度も歌わせていただいた曲です。
『ゆうぐれ』 聴いてください」
9曲目 『ゆうぐれ』
「最後にもう一曲、洋子と歌います」
『ココロ -奇跡-』 は、人の一生を歌った曲。
ホーチンさんが起き上がれなくなってもギターを弾いて仮歌を録音し、
物議をかもした曲で、ご苦労話もありました。
10曲目 『ココロ -奇跡-』
最後の 「ラララ♪」 の部分は、会場の皆さんも一緒に歌い、
だんだん早くなって行くと同時に笑顔に包まれて行きました。
= 終 演 =
終演後は、出演者の皆様が客席に得て来てくださり、
それぞれ談笑されてました。
ホーチンさんのお人柄に触れる素敵な時間を
どうもありがとうございました。




開演前、お墓参りに伺いました。

月曜日ということでスケジュール空けるのが大変でしたが空けて良かったと思えるくらい
笑いと感動に包まれたステージでした。